荒木先生講演会レポート ~さよなら杜王町-黄金の心~

| 2007.11.13 (Tue) 7:24 AM | [東北大&青学 荒木先生講演レポート, [荒木IZM] | ←前■TOP■次→ |

11月2日、3日の文化の日ウィークエンド。場所は大きく違えど、2日連続で荒木飛呂彦先生の講演会が東北大学、青山学院大学の両大学の学園祭イベントとして行われました。幸いにも両方に出席する事が出来たので、そのレポをまとめてみました。2つの講演の内容には違いがさほど見受けられなかったので、聴きやすくスクリーンが大きくて見やすかった東北大の講演会をベースに書きました。そこに青学の分を憶えている限りで付け加えていくという形でいきたいと思います。正直、会場の熱気やら会場入りまで疲れやらのせいか、青学の方の記憶はあまり鮮明じゃないのです…。

ところは杜の都にある東北大学。東北大学に行く前の道中記はコチラ(→■杜の都と東北大学学祭)。近場のジョジョに由来する場所なんかを周ってみました。その後、いよいよ東北大学へ。ジョジョ劇場版を2回観る事で手に入れたクリアファイルに当選ハガキを入れて、会場に足を踏み入れた僕。会場となった部屋はスゴくキレイで、椅子も映画館のような感じ。スクリーンも大スクリーンが1つにサブスクリーンが2つもあって、充実した設備が窺えました。校門やなんかは如何にも国立大学という印象を受けていたのですが(←失礼)、やはり中身は勉学に励める充実した施設が整えられている模様でした。そう、大学は勉強に勤しむ場所なのです。だからサークル棟がボロっちかったのも当然なのです。さすがは優秀だぜー東北大学!

指定された席は中段よりちょい後ろの真ん中あたりで、講壇からはやや遠いものの映画を観るにはベストなポジション。これは期待が高まるというもの。開始の直前には学生サイドの撮影班らしき人たちと、うっすら聞こえた声から察するに仙台NHKのスタッフさんたちとが、通路寄りのお客さんにインタビューをしていました。ヤッベ、全く何も考えていなかったよ…!そんな心配をするまでもなく通路寄りではない僕のところには来なかったのですが、もし本番で荒木先生への質問タイムがあった時の為にネタを考えておかなくては!という事に気付けたので良かったと思います。結局、そんなコーナーもなかったけどな!

そんな事をしている間にもいよいよ始まるぜッ!前代未聞の杜王町での講演会が!ここに存在するのは冒険者だけだッ!この講演会は世界中の誰もが体験したことのない講演会となるだろうッ!!

東北大学学園祭「百華繚乱」ジョジョの奇妙な講演   東北大学学園祭「百華繚乱」ジョジョの奇妙な講演

青山学院大学祭「AOYAMA FESTIVAL 2007」荒木飛呂彦氏講演会

 

 わたしが講演を引き受けた理由

サタプロの時と同じ書き方で開始させて頂きますよ(笑)。まず講演会を引き受けた経緯から荒木先生は語り始めました。最近、講演会の依頼がすごくあり、その理由を考えたところ、やはり芸人さんだとかミュージシャンの方々(しずちゃんとかしょこたんとか、ケンドーコバヤシさんとか)がジョジョという作品をリスペクトして色々なところで言ってくれているんで、やっぱりその効果だろうという事でした。何でも、この時期には同じような文化祭での講演依頼が5,6本も来ていたそうです。今回それぞれを引き受けた理由は、

 ・東北大学…やっぱり杜王町出身なので地元の東北大学は外せない
 ・青山学院大学…娘さんが来年青学を受験するかもしれないので、仮に入学させて頂くような事になった時に「お前の親、去年(講演会)断ったよな」とかイヤミ言われないように。(荒木先生流ジョ-ク(笑)。ホントは表参道が好きだからだけなのかもしれない。)

との事。ジョークも交えてのトークを繰り出す荒木先生。「芸能人とか芸人じゃないんでネタとかないんで、笑いとかそういうのはないと思います。」と仰りながらも、青学の講演では出だしに「スゴく緊張しています。素数を数えていたんですが、素数が何かすら分からなくなりました(笑)」とネタも盛り込まれておられましたよ。2度目の余裕からか、青学の講演ではギャグが冴え渡っていたように思いました。荒木先生からのネタ放出に、会場が大盛り上がりなのは言うまでもありません。

<損をしないための地図>

基本地図



荒木先生(イメージ) マンガの『基本』となるものには4つの要素があり、それが『ストーリー』『キャラクター』、そして『ストーリー』と『キャラクター』を統括する『絵』が基本的な(表面的な)マンガの構成。それに『テーマ』というものがあり、この作品作りの哲学というものは背後に存在するもので表には見えないもの。この4つが大切である。
 

 

【ストーリー】
■基本地図は「起承転結」の黄金地図

ストーリーの基本地図

荒木先生(イメージ) まず、主人公が出てきていきなり困難に陥る。主人公を説明したらまず困難に落とすというのが基本ですね。次はその主人公が困難を乗り越えようと努力するのだけど、さらに悪化する。で、最後はハッピーエンド。これが基本。
これはバトルマンガに限らずラブストーリーにも言えて、例えば主人公に好きな女の子がいるというのが1で、2番は女の子には彼氏がいてどうしようみたいな、3番はその彼氏は自分のお兄さんだった。で、どうすんだ?ってなって最後はやっぱりハッピーエンドというのが基本。
ラブコメでもギャグマンガでも起承転結というのが基本で、これを外したマンガっていうのは絶対に売れない。新人マンガ家が持ってきたのを審査したりするんですけど、それらは結構(これで)ダメ。ただし、この基本地図を知っていてわざと外すのはアリで、わざと外す事で新しい芸術として出すというのはいい。でも、この地図を知っていないと絶対ダメ。 


僕も消し飛んだ以前のサイトの中でジャンプ感想やらをやってて気付いた事ですが、基本の形を外しているものはなんかよく分からんな、という感想を抱く事が多かったように思います。読切作品では特に顕著に現われる気がしますね。テンプレートに嵌まったものを嫌ってしまう事もあるのですが、それは内容やストーリーまでもが形式化されてしまっている作品に対してであり、基本となる起承転結の枠は外してはいけないと思います。話はちょっと逸れますが、今週のジャンプ(07年49号)に掲載されていた古味直志先生の「ウィリアムス」という読切は、基本をしっかりと押さえた王道ともいえる構成でしたが、内容はなかなかに重厚で読み応えのある作品だったと思います。際立った真新しさというものはないのだけど、あれが基本を押さえている事による力強さなのかなと思いました。

そしてハッピーエンドというのも、絶対にハッピーエンドでなくてもよいのだそうです。主人公が勝つんじゃなく、負けるっていうハッピーエンドもある。例えば、負けても友達を助けるだとか、子孫に何かを残すために死ぬとか、そういったものはハッピーではなく悲しい結末。悲しいけどハッピーエンドなんですね。そういった意味で、ハッピーエンドで終わるというのは絶対基本で、これは曲げてはいけないんじゃないかな、という事でした。

うん、確かにそういう終わりもハッピーエンドであると言えましょう。主人公の行く末やミクロ視点ではバッドエンドでも、大局的、言い換えれば作品的にハッピーエンドで終わる事が基本なのでしょう。

しかし、マンガには色々なタイプがあって、週間連載作品などには毎週の笑いが取れればそれで良しとするタイプの作品もあったりします。そういったタイプのマンガは、ストーリーとしての最終回にハッピーエンドとするのではなく、毎回ごとにハッピーエンドが描かれているのだとする受け止め方が必要なのでしょうね。まあ、名作にも色々なタイプがあるので何とも言えませんが、ストーリーものである以上は最終回にクライマックスを迎えて読者はカタルシスを得ようとすると思うので、ハッピーエンドが基本というのは間違いないと思います。(最終回でコケるのが名作の条件という見解もある事にはありますけども(笑))

■どうやってストーリーは作るのか。どっからアイデアを出すのか。

荒木先生がどうやってマンガ家になったか、どうやってストーリーを作っているのかのお話です。荒木先生は、以前の講演でも少し触れられていましたが、謎を追うのがスゴく好きな子供時代だったそうです。世の中にUFOは本当にいるのかな、画家ってなんであんなヘンな絵を描くんだろうな、っていうそういう謎にすごく興味があって、そういった姿勢がストーリーに活かされるのだと先生は仰います。

荒木先生が子供の頃、朝起きると積もった雪についた動物の足跡などを追いかけるのが好きで、どうしてもどこまで行ってるのかなと追跡したくなったそう。マンガ家になっていなければ、そういう追跡刑事になりたいなと思ってたくらいなんだとか。第四部で承太郎と仗助が「虫喰い」と呼ばれるネズミの追跡をするエピソードがありますが、あの話にあったように荒木先生もシートン動物記なんかが好きな少年だったのでしょう。僕はどっちかというとファーブル昆虫記でしたが、昔はよく読んだものですよー。荒木少年は追跡をしながら、アラレちゃんのよーに枝で色々なものをつっついたり、「ム!この水たまり、『ヒル』がいるな…」とかやってたのかもしれませんね。僕もちっさいころ、ヒルはイヤだったですぜ~、柄杓で掬って道路に並べたりしてたもんですぜ。今思えば、相当エグい事ですけども。

そしてこの追跡のお話には続きがあります。追跡をしていると昔の田園だけあってそこかしこに肥溜めが口をあけてたそうです。僕の経験論から言うと、肥溜めにはフタが付いてた気がしますが地域差があるのかも。その死の領域(肥溜めゾーン)にうっかり足を踏み入れてしまった荒木少年。ズブズブと沈んでいく中、とっさの判断で体を反転させ土のゾーンの岸に掴まって沈みゆくのを堪えたんだとか。この「体を反転させて岸にしがみつく」という判断には荒木先生も自画自賛されてました(笑)。この沈みゆく恐怖がスタンド「オアシス」の元ネタになったのかもしれませんね。オアシスが地面をうんこ化させて沈ませるスタンドじゃあなくってホントに良かったぜ!身体がうんこ化してしまうなんて、恐ろしすぎるッ!
その後母親に救出されるも、雪が積もる中、水で洗い流されて酷い目に遭い、それ以来用心深い性格になったという荒木先生。今でも新製品や新商品は他人に試してもらってからでないと手を出さないのだとか。おかげで今でもテレビはブラウン管だそうです。週間文春の記事(アイデアを生むティータイムとそのためにある空間)では物欲がない事も理由として挙げられていましたが、そういったワケもあったのですね!

とまあ、若干脱線したかのように見えた肥溜めエピソードでしたがこれも実は意味があり、マンガを描くにしても肥溜めに落ちるようなマンガは描いちゃいけない、その為にも正しい地図が必要であり、それで最低のラインを考えるようになったのだそうですよ。そういった用心深さや謎を追求する姿勢がアイデアとして蓄積され、ストーリーに展開されていくのだと荒木先生は仰いました。

落とし穴に嵌まらないよう用心深く描き続けてきたからこそ、25年もの歳月を一線級のマンガ家として乗り越える事が出来たのかもしれませんね。

 

【キャラクター】

キャラクターの基本地図   

あるマンガ家さんは、キャラクターさえいればストーリーは自然に出来上がってくるよ、と言っていたりもするのだけど、荒木先生はやっぱり『ストーリー』と『キャラクター』っていうのがないとダメだと考えているそうです。キャラクターだけだとその時は人気は出るかもしれないが、やはりストーリーがしっかりした上でキャラクターが動いていかないといけないしキャラクターも成長しない。何より時代を超えていかないとの事!キタコレ、時代を超越する!確かに奇抜なアイデアでは一世を風靡する事は出来ても、長い間受け入れられていく事は難しいかもしれませんね。一際抜けた奇抜さの場合は時代を創っていったりもしちゃいますが。

ただ、この「あるマンガ家さん(誰のことかは皆目見当もつきませんが)」が言った、「キャラクターさえいればストーリーが出来る」というのは、「キャラクターの設定を詳細に決めてそのキャラに魅力があれば、その設定を元に勝手に動いていく」という事なんじゃあないかな?とは思いました。厳密にどういうニュアンスだったのかは僕の知りえないところなので断定はできませんが、俗に言う「キャラが生きている」というのはそういう事だと思うのです。こういった事は少なからずあるんじゃないかな、と僕は思ってますが、物語の主軸に影響するほど(エンディングが変わってしまうほど)勝手に動きだすわけではないでしょうね。そういう意味では、やはりストーリーは必要であると言えるでしょう。

■ヒーローについて

荒木先生(イメージ) ヒーローが何かを考えたとき、ヒーローというものは「孤独に世界のために立ち上がっていく人」の事を言う。集団ではダメで、仲間はいるのだけど最後は自分ひとりで戦っていく人、そういうのがヒーローであり、泣ける。世の中からつまはじきにされても影ながら人の為に戦っていくような人。そういう人たちがヒーローの基本である。
 
 例)
  ・X-FILES…変人って言われながらも謎に立ち向かっていくモルダー捜査官
  ・24-TWENTY FOUR-…アメリカのために孤独に戦うジャック・バウアー

これは、確かにジョジョに埋め込まれていますね。承太郎なんかはまさにそう。不良のレッテルをはられ、ケンカの相手を必要以上にブチのめし、イバルだけで能なし教師には気合を注入し、料金以下のマズイめしを食わせるレストランには代金を払わねーなんてのはしょっちゅうな彼ですが、吐き気のする悪に敢然と単独で立ち向かう様はまさにそうだと言えるでしょう。
そいや、荒木先生は「大脱走」という映画の主演のスティーブ・マックイーンにもヒーロー性を見てましたよねー。確かにアレはヒーローだ。

■キャラクターの定義

荒木先生(イメージ) 定義にも色々あるが、善と悪に大別される。悪役(ディオ、吉良吉影)というのは描いていてスゴく楽しい。逆に、ジョナサン・ジョースターや東方仗助というのはスゴく難しい。しかし、この難しいのを描かないと悪が引き立たなくなる。悪ばっかり描いてあるマンガっていうのは、虚しくなる。悪だけでもちょっとは売れたりするけど、時代を超えるのは善である。善をキッチリ描いて、それに対して悪っていうのはキャラクターの基本であり、その二つに必要なのは読者の共感。悪でも悪いやつの理論が必要。

善と悪というのは、絶対に必要な、白と黒。白い原稿用紙に黒い鉛筆で描くように、黒と白がないとマンガじゃない。善と悪とにキャラクターが分かれているから、それぞれで登場人物を魅力的になっていくもの。その上で細かい設定、例えば吉良なんかは自分の爪を集めて自分の体調を調べたりとか、ディオは本当は女の子も好きだけど男でもオッケーだぜとか、そういうのを細かく細かく決めていく。
 

善と悪に大別されているジョジョの世界ですが、読者の側からすると「悪」のキャラクターの方がより個性的で魅力的に映る事も多いですよね。荒木先生もそれは感じてらっしゃるようで、描く側からしてもディオや吉良の方が楽しいそうです。元々ジョジョは他の作品とは違う個性を出すために、人間の「悪」の面に力を入れている作品です。「悪」もまた人間の一部であり、それを平等に扱っているからこそ人間讃歌となるのでしょう。最終的に邪悪な事をしているのに魅力的に映るのは、どのキャラもどこかで共感できる人間味を持った上でそれぞれの信念や哲学に基づいて行動しているからなのだと思います。このあたりは荒木先生の特集が組まれた東京大学新聞に詳しく掲載されていましたね。そしてそれぞれの信念を貫き通す。善でも悪でも、貫き通した信念に偽りなどないのです!武装錬金ネタですが(笑)

そんな悪を魅力的に描くためには、相反する白の世界、善のキャラクターを描ききらなくてはいけないという事ですね。ディオがあれほどまでに輝いたのは、ジョナサンを王道の正義として描いたからなのでしょう。そういう意味では、ジョナサンはディオの引き立て役って事ですね!主人公なのに!余談ですが、荒木先生の「白と黒の世界」というお話を聞いた時に思い出したのが、第三部のディオとの決戦の直前の描写でした。主人公パーティーがはっきりとした白の側にいる事を、各キャラクターごとに明確に描かれていましたよね。きっと、ああいう事なんだろうなーと思いました。

■共感できないバカとマヌケはNG

荒木先生(イメージ) でも、絶対ダメなのはバカとマヌケで、キャラクターが戦いに行くのに銃とか忘れたりとか、携帯電話なんで持っていかないんだよとか、そういうストーリーは絶対作っちゃダメ。外に逃げればいいのに、二階に逃げる主人公とか、そういうのは絶対ダメです。それをやると、「こいつバカだなー」と思って読者が引くんです。そういう欠点はダメだけど、ムシが怖いとかそういう欠点はいい。
 

これはスゴく理解できますね!何のマンガとは言いませんけど、敵を目前にして作戦会議をしたり敵は敵でその作戦会議をボケッと静観してる作品とか見たときには、ホントに引きましたもん。バカばっかりだな!て。何のマンガとは言いませんけどね?これは映画なんかでも思う事がありますね。
ホラー映画を観ていると時々あって、それは演出なんで仕方ないのかもしれないけど、叫んでるヒマがあったら逃げるべきだろうって思ったりします。そうやって感情移入できなくなった作品はもうギャグとして楽しむしかなかったりね。狙ってやっているのならば良いのだけど、意図してないのなら残念な作品ですよ。サスペンスからギャグへというトンでもな評価変換をされるんですから。サスペンスには感情移入できるリアリティが必須なんですよね。そのあたり、ジョジョは狙って作られてるだけあってもの凄くドキドキできると思います。ハンターもそうですね。行動理念にリアリティがあると思います。

■キャラクターの個性は身近な人や聞いた話をヒントに作り出す

例)
吉良吉影…ニキビの中の芯だけ集めている女の人が知り合いでいる。
(※この女性は吉良のモデルになったわけではなく、自分もそういうコレクションをしているから吉良に共感したのだとか。これは逆になっているが、要するにこういった材料を元にキャラクターの個性を作っているというお話。)

元が本当に存在する癖や特徴なら、創造物であるキャラクターに人間味が出てくるのは当然かもしれませんね。荒木先生はこの個性付けのアイテムに、「口グセ」というのもうまく使っていると思います。ジョジョには特徴的な口グセを持つキャラクターがたくさん出てきますが、はっきりと実感できたのはしょこたんの番組(ギザおはゆース!溜池NOW「しょこたん×荒木先生」)でしょこたんと承太郎の子供のキャラを創った時ですね。口グセに「るせっ」という設定を加えただけで俄然個性が出たというか、性格までイメージできたのを憶えています。あれはもう、『技術(ワザ)』ですね!

■まとめ

荒木先生(イメージ) 善とか正義とか愛とか希望とかっていうのを貫いている主人公がいないといけない。悪だけ描いてたりすると、その時は話題になるかもしれないが、時代を超越するためには人間の普遍的なものが必要である。主人公は絶対孤独で世の中の為に戦う人なのである。これはキマってるんですね!
 

 

【絵】

絵の基本地図

■15m先から見てそれだと分かる絵

荒木先生(イメージ) 絵って言うのは15m先から見てそれだと分かる絵。電車の中で遠くから読んでて、あーなんかワンピースだ、っていうのが分かるんですね。なんとなくわかるんですよ。NARUTOだとか。DRAGON BALLとNARUTOが一緒に載ってたらちょっと分からないかもしれませんけど(笑)。
 

ちょwww。さりげなくスゴい毒吐いたような(笑)。それはさておき、絵の定義は荒木先生が以前から仰っている内容のものでした。絵だけで作風を伝えられるような、そんな秘められた何かがヒットするマンガには必要なのでしょう。マンガは個性(オリジナリティ)を確立するのが難しい、それゆえ誰かが一度確立した個性をそっくりマネしたマンガを描くのは存外簡単な事らしいですし。(流れ星超一郎談)

■確立された画風

荒木先生(イメージ) 昔のジャンプ掲載作品で言うと、北斗の拳やキャプテン翼、そして車田先生の作品は特にスゴかった。そういった個性を確立するのがすごく難しい。模写するのは簡単だけど開発していくのはすごく難しい。丸三つでも完成するミッキーマウスは究極の形。そういったものが絵には重要である。
古典絵画でも、ミケランジェロやゴッホ、最近だとバーネット・ニューマンという現代画家はそれが確立されている。ただオレンジ色を塗っただけでもバーネット・ニューマンとわかる。
絵でなくてもウルトラマンやスパイダーマンのデザインや、マイケル・ジャクソンなども一目見てマイケル・ジャクソンだとわかる。こういった、スーパースターの条件にも共通する15m離れて見てもその人だとわかるキャラクターというのが良い絵なのである。この条件は上手い下手ではない。
荒木先生はこの地点を目標として目指している。荒木先生自身の技法は古典的なタッチに傾倒しているが、これを簡単にしようが難しくしようが、それは作家の資質を現しているのである。
 

なんだか難しい話になってきましたが、絵というのは上手い下手ではなく、そこに内包されたパワーというか個性が大切なんだという事だと思います。僕なりの解釈ですが、これらは絵画を見ているとよくわかる気がしますね。僕は印象派の絵が好きなのですが、印象派という括りの中でも色々なタイプがあるんですね。今までになかった方法で描かれていたりすると絵の個性というのはさらにわかりやすいのですが、例で挙げるとイギリスのウィリアム・ターナーって画家がいいかもしれません。この画家は所謂印象派の先駆けとして見直されているのですが、この人の後期の絵は輪郭線がないんですよ。それは空気をも描こうとしたからなのですが、とにかくその場の印象というものが伝わってくるんです。まあそれが印象派なわけなんですけど、それを初めて見たならそれはスゴい衝撃であり個性を感じるわけで、多分そういった事なんじゃあないのかなと。新しい事とは限らないけど、オリジナリティとしての確立が大事って事ですね。
マンガに置き換えても同じで、「絵から受ける印象」という事だと思うんですね。ただキレイな絵じゃそれは感じられない。デッサンが多少狂ってるマンガの方がヒットしたりするのは、その事で衝撃を感じてるからなんじゃないでしょうか。その線で言えば、『テニスの王子様』なんかはそんな気がします。インパクトはあまり感じないけど、『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』の絵も個性的と言えるかもしれませんね。

 

【テーマ】

テーマの基本地図

荒木先生(イメージ) 上記の3つの要素が基本となったひとつのカタマリでマンガとなるが、その背後に作品の哲学とも言うべきテーマが存在する。非常に大切な部分なのだけど、そこで絶対にやってはいけない事が「読者を説教する事」。テーマというものは背後にあるべきで読んでいるうちになんとなくわかるもの。キャラクターの行動を通じて描いたり、最後にトンと置いておくという性質のものであって、決して語らせてはいけない。新人マンガ家によくあるのがこのテーマだけを描くというもので、主人公がテーマを喋りながら戦っていたりする。そういう作品は非常にウザくてダサい。大抵そういうマンガは落とされる事になる。テーマは背後にあるのが世間の常識である。
 

確かに!確かにテーマを語りながら動いているマンガを見ると、吐き気をもよおしてしまいますね。背後に込める力量がないのか、読者にそこまでの読解力がないとバカにしているのか、どっちなんだろうとは思いますが、とにかくそういう作品はうっとーしいぜッ!と僕も思います。譲歩しまくったとして、もの凄くわかりやすくするのはいいとしても、喋っちゃさすがにダメですよねー。そういうテーマっていうのは、おしなべてクサイものなんですよね。それを表面に出してしまうと、途端にウザくてダサくなるのは必然だと思います。たまーに主人公をそういうクサいけどアツいヤツとしてはっきり描くと喋ってもヘンじゃない場合がありますが、そういう場合にしたってもっと大きなテーマが隠れていたりしますからね。武装錬金ってそういう作品だったと思います。あと、作者があとがきやコメンタリで喋るのはいいと思います(笑)。

 

以上が荒木先生の濃密講義!実際には具体例を出してレクチャーしてくださったのですが、その内容はまたの機会があるのでその折にでも触れたいと思います。今回は対象が大学生という事で、中学生が対象のサタプロよりはより具体的な内容だったと思います。しかし、どちらにも共通していたのが、自分の位置を見定め何処へ向かうのかを意識して描く、という事だったと思います。荒木先生は、今回の講義は、「マンガの基本」を通じて、実際の社会でも基本の道筋を知って、道を外れても戻ってこれるようになって欲しい、知らないで道を外れると暴走してしまうぞ、っていう事を社会に出る前の大学生に伝えておきたかったと仰っていました。僕はマンガを描くわけでもなんでもないのですが、マンガの構造には迸るほど興味があるので大変勉強になりましたし、もう社会に出てるおっさんですけど込められたメッセージもまだまだこれからの人生に役立てていけると思いました。まさしく黄金体験であったと思います。

この度は、このような機会を設けて下さった東北大学学園祭、青山学院大学学園祭の両運営の方々、そして荒木飛呂彦先生及び関係者のみなさまに果てしなく、感 謝 い た し ま す

 

 

東北大学の講演会はこの本編の他に、カジポンさん、鬼教官さんと荒木先生が贈るジョジョ立ちコーナーと、東北大学生と荒木先生によるQandAコーナーもあり、そこでの様子もできればまたまとめたいと思います。ヌケが多そうだけども。ホントはそれもまとめてからUPしようと思ったのだけど、ユリイカ読んだら大分被ってる話題が多かったのでとりあえず出来てるとこだけあげてみた次第です(苦笑)。講演会の一週間前の対談のまとめだから、そりゃ似てて当然だわなー。

 

荒木先生講演会レポート ~さよなら杜王町-黄金の心~
荒木先生講演会レポート ジョジョ立ちという現実と幻想の狭間の世界
荒木先生講演会レポート 質疑応答記者会見
2008JSQ.1月号特別読切「岸辺露伴は動かない―六壁坂―」講演会考察&感想

ブラボー…おお…ブラボー! 最初ブラボタンにしようと思ったけど、なんかやらしいからやめたんだぜ

東北大&青学 荒木先生講演レポート一覧